ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン

志村真介・志村季世恵野元 義久

夫婦経営に学ぶ
リーダーシップのあり方

HOMETalks夫婦経営に学ぶリーダーシップのあり方

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク(以下DID)」は、トレーニングを受けた視覚障害者に案内され、“完全なる暗闇”の中で視覚以外の感覚を研ぎ澄まして様々な体験をするというソーシャル・エンターテインメント。その体験が、個人の意識を変え、やがて組織や社会をより良い方向へ変えていくと注目を集めています。その秘密を紐解くべく、日本法人の代表を務める志村真介氏、総合プロデューサーの志村季世恵氏をお迎えし、前後編の鼎談をお届けします。後編は、ご夫婦が協力してDIDを経営するまでの経緯に始まり、異なる相手と次世代ビジョンを共有して、事業を継承していくお考えを伺いました。

託された「本気」に応えるために、夫婦になった

野元
日本におけるDIDは、真介さんがダイアログ・イン・ザ・ダークの代表、季世恵さんが対話を社会に促進するダイアローグ・ジャパン・ソサエティの代表として、二人三脚で運営に取り組まれてきました。夫婦経営のケースは、老舗企業などにも多く見られますが、独特のルールや作法がありそうです。
真介
それがまったくないんですよ。DID全体でも特に設けておらず、あえてあげるとすれば、「すべての人に特别に対応する」など、ベーシックな指針くらいでしょうか。ルール化すると、いろんなお客様やメンバーに合わない部分が出てくるし、パターン化すると人はそのとおりにしかやらなくなるので、あえてつくっていないんです。その人を見て接し方を変えるという点においては、季世恵との関係でも同じです。
季世恵
そのおかげもあって、私は自由にやらせてもらってます。私たちは夫婦になる前に出会って、DIDの理念や考え方を共有し、さらに日本市場に合うように広めてきました。DIDに求めることや、DIDを続けることで世の中がどう変わるのか、真介が苦労しながら考え続けていることを、すぐそばで見てきたので、大きな方向性はブレることはないのかなと思います。とはいえ、ものすごい働き方をする人なので、始めは巻き込まれないようにちょっと遠巻きに応援していました(笑)。
野元
先に事業パートナーとしての関係からスタートされたのでしたね。真介さんのご苦労を知り、思いや考え方が共有できているからこそ、自由に動いても同じ目標に向かって進んでいけるのでしょう。「一人ひとりへの特别な対応」がお客様やスタッフだけでなく、経営者のお二人同士にも浸透しているのは、とても興味深いです。とはいえ、仕事のパートナーだったお二人が夫婦になられて、戸惑いや変化はなかったのですか。
季世恵
そもそも夫婦になったのは、真介が病気で倒れて命の危機に直面したことで、自分に何ができるのかを真剣に考えたからです。その時に彼から手渡された紙には、びっしり2枚両面に、口座番号や暗証番号も含め、いろんなことが書かれていて、最後に「アテンドを泣かさないでほしい」「ダイアログを続けてほしい」とありました。余命数時間と言われている人が、そのことばかり考えているんですよ。それまでに何度もプロポーズしてくれていたんですが、私については一切触れておらず…。だから、逆に腹がくくれたというか、ここまで信じられているのだから、ちゃんと仲間にならなきゃと思いましたね。だから私から、手術が終わったら結婚しようと言ったんです。

志村 季世恵氏

真介
多くの仕事はクライアントやお客様に依頼されて始まるけど、ソーシャルプロジェクトは求められる前に自分が社会に必要と思って、自分で始めたもの。だから、自分の都合でやめてしまうのは、失礼というか…、言葉がまだ見つからないんですけれど、終わってしまうことは絶対に避けたいと思いました。それを択せるのは、もう彼女しかいないと思っていました。
野元
真介さんご自身が社会であり、社会をより良くしていこうとする源泉なんですね。そして、季世恵さんも、ご自身の生き方や考え方を体現されるために、真介さんと出会われたのかなと思います。それでも、始めは遠巻きにされていたのに、「大変なことを受け取る」決断をされた理由は何だったのでしょうか。
季世恵
私は人の生死をたくさん見てきて、人の成功や幸せは、ものやお金ではないことを実感しています。亡くなる時に「ありがとう」って感謝する人って幸せなんですよ。それは自分の人生も人の人生も肯定できること。大切なものを共有できて、ともに生きることが幸せだと思っているので、真介が本当に本気で、その本気を応援したかったし、自分も貫きたかった。DIDを続けていくには、どうしても彼のケアが絶対に必要でした。そのためにできることはないかと思い、夫婦になったんです。
野元
そのあたりは、ご著書の『エールは消えない』※1で読ませていただきました。涙が止まらなくて、ページがめくれずに困りました……。季世恵さんはリーダーでありながら、真介さんの一番のフォロワーでもあるわけですね。それは心強いことだと思います。そんな経営チームにはなかなか出会えません。

不完全な人同士が信頼関係をもって協力し合うこと

野元
夫婦で事業を運営していくことの意義やメリットなどはどのようなところにあると思われますか。
季世恵
夫婦であるいいところといえば、仕事以外でもずっと一緒にいられて、彼の表面に出てこない思いや無意識で求めていることもわかってきて、そうしたところも含めてフォローできることでしょうか。それでDIDを持続可能にするには、彼の仕事の負担を減らすことだけでなく、皆に彼の願いに深くコミットしてもらうことが大切だと思いました。結果として、真介は何も言わなかったけれど、倒れたことでスタッフのみんなが「代表は強いと思っていたらそうじゃなかった」と気づきました。実質SOSのようになり、皆の「助け合おう」という気持ちが強くなったんです。誰もが巻き込まれるような環境というか、「助けられる」ということも大事なんだと感じました。
野元
いつもリードする側だった真介さんが助けられる側になったことで、全員の結束力が一気に高まったのですね。
季世恵
そうです。同族でなくても、何かしらのきっかけから強い結束が生まれれば事業が継続できることを改めて実感しました。当時のメンバーはもちろん、卒業したアテンドが帰ってきて協力してくれたのもありがたかったですね。中には子育て真っ最中にご両親のサポートを取り付けて、お母様が沼津から東京にいらしてくださった。そんなメンバーもいました。こんなに弱い団体なのに、24年続けてこられたのは、そんなふうに人とのつながりが濃厚だからかなと思います。私は誰かが卒業するとき、応援する気持ちがあっても寂しさもあって泣いてしまうし、まるで母親なんです。100年続いた老舗の企業の経営者やベテランスタッフにもそういう方が多いらしく、共通するものを感じます。
野元
DIDの体験が日常にあるお二人だからこそ、どんな人にも分け隔てないコミュニケーションをなされるのでしょう。元々のお人柄もあるのでしょうけれど、DIDがご自身の生き方と結びついていることを強く感じます。

野元 義久

真介
全く違う感覚や文化を持つ人が、同じ目的・目標をもって協力し合うという意味では、季世恵との関係にも、DIDの組織や事業にもすべて共通しています。”夫婦だから”一緒に経営しているわけではないんです。むしろ夫婦である時間は少ないくらいで、歯を磨いていてもシャワーを浴びていても、各自がDIDをより良くすることをそれぞれ考えていて、そのリズムや考え方がまったく違うので、すり合わせにはいつも苦労しています。でも、それも含めて納得ずくで、私たちの行動指針なんですよね。
季世恵
もうね、巻き込まれたというか、夫婦揃ってずっと考え続けているというか…。でも、本当に全然、何もかも違いますね。
真介
二人は考える方向が違うし、感じること、見え方も全く違う。たとえば、救急車が通って車を停めた時、私が「遅れそうだな」と思っていると、季世恵は「乗っている人が早く治りますように」と祈っているんです。医療関係者だったこともありますが、それが彼女の感覚で文化なんですよね。まったく違うからこそ組めるし、同じ目標に向かうのに効率的でないこともありますが、柔軟で強い関係になり、「だからこそ」生み出せるものがあるように思います。"太陽のアプローチが”ソーシャルエンターテインメントであり、それを提供するDIDの組織のあり方だと思っています。

DIDを次の世代に引き継ぐために、体験の種を蒔く

野元
お二人が育ててきたDIDの組織や取り組みによる社会への影響力は、着実に高まっているように感じます。今後は、どのように発展させていかれるつもりですか。
真介
どんな事業もそうですが、人間の人生の時間軸では成功したかなんてわかりません。DIDが目指す社会変革も決して容易ではないので、取り組みが代々続くことが必要と考えています。そんなことを考えていた時に、サグラダ・ファミリア教会をつくったガウディも同じ考えなんじゃないかと二人で同時に思い至って、2回目の手術の前、少し時間が空いた時にバルセロナに行って見てきました。
季世恵
ガウディが感じたことをその場で感じたいと思ったんです。ガウディはやり続けるために、本当にいろんなことを手掛けていて、たとえば職人の子どもたちのために学校まで造っているんですよ。それでDIDでもちゃんと人を育てなくちゃと思って、対話のプロフェッショナルを養成する「ダイアログ・アテンドスクール」を開校しました。アテンドになることを目的とする人、社会に関わりをもっと持ちたいという思いを持っている人もいます。それぞれ自分の中にある能力を見つけて高めてほしいと願いながら続けています。
野元
単にアテンドになるための学校ではないのですね。それはDIDとはまた違ったアプローチとして興味深いですね。ガウディはすべてを設計図に描かず、後の人たちへと余白を遺した。次世代が活躍できるフィールドをつくるということですね。
季世恵
あるアテンドが「自分は未来の職業の選択肢の幅を広げたいから続けている」と言っていて。そんなふうに、いろんな体験をしてもらって、就きたい職業に就くまでの”つなぎ役”にもなれたらいいなと思っています。そして、これもガウディと同じ発想なんですが、事業を継続するための基金をクラウドファンディングで集めることもあります。
真介
当初DIDを始めた頃に、季世恵から「『鎮守の森』みたいに少しずつ皆でお金を出し合ってやろうよ」って言われたんですが、私は「ちょっと効率が悪いな」と思って手を付けなかったんです。大手のスポンサーの方が安定すると思っていたんですよ。
季世恵
私は、ホスピスとか緩和ケア病棟を日本に作ろうと動いていた頃で、スポンサードしてもらう難しさを実感していました。そんな時、ちょうど「ガイアシンフォニー」という映画のクラウドファンディングがあって「これだ!」と思って提案したんです。結局、理解してもらえるのに20年かかりましたが…。
真介
基金の立ち上げ直前というところで、いきなりコロナ禍になり、これはもう続けられないかもしれないと思いましたね。このまま閉鎖することになって、悔いが残るとしたら、「子どもたちに体験してもらっていないこと」だったんです。子どもの参加は、海外に比べて日本は極端に少なく、それは参加費用のせいでもありました。それで子どもたち5000人分の無料体験費用をクラウドファンディングで募集したところ、大きな反響があったんです。

志村 真介氏

季世恵
子どもたちに体験してもらうことで、コロナで日本からDIDが消えても、大人になってから「DIDを再現したい」と取り組む子どもが出てくるかもしれないと、種を蒔くような気持ちもありました。実際、ステキなことがいっぱいありましたよ。児童養護施設にいる子どもが「がんばってお金を稼いで、大人になってまた来たい」って言ってくれたり、「仲間になってくれる?」って聞いたら笑顔でうなずいてくれたり。
野元
それは嬉しいことですよね。経営継承とか後継者探しというと、経営のことをわかっている人を探してくるとか育てるという考えだけになりがちですが、学校もクラウドファンディングも、人の心に小さな種を蒔く大切さを実感します。ソーシャルイノベーションだからこその時間軸でもあるのだろうと思います。

サステナブルな組織を目指し、チーム経営のあり方を模索

野元
直近の後継者についてはどう考えていらっしゃるのでしょうか。
真介

運営の後継者選びに関しては、「世界の何処かにいるかもしれない」という前提で、想定はしています。あと2年ほどの間には決めたいと思っています。その意味では、この対話を読んでくださっている方の中に、その適任者がおられるかもしれません!

実は、世界中のDIDの主催者が集まるインターナショナル会議がイタリアであって、ひさびさに創始者のアンドレアス・ハイネッケに会ってきたんです。彼も運営から退いて、「立場を変えてやりたいことをやる」と言っていました。

季世恵
辞めるのかと思って泣いて止めたのですが、「後継者候補に自分と同じ人を探していると時間が経つばかりなので、チームでやっていく方法を考えたい」というんですね。同じように、私たちも代表者が不在でも、いろんな能力や文化を持っている人が協力し合って運営できる方法を考えています。
真介
本当のリーダーって、動物の群れでいえば後ろにいたりしますよね。私たちも60代になって、先頭は若い人に譲って、それを応援する立場になることが必要だと思うようになりました。実際、他の人に任せたら、自分で考えて行動し始めるんですよ。遅い時間までがんばってくれたり、家に帰ってもずっとDIDのことを考えたりしている。働き過ぎないように気をつけてほしいと思いつつ、実はやっぱり嬉しいです。
季世恵
おそらく私たちが気づいている以上に、皆それぞれDIDについて考えてくれているんだなと思います。メンバーはもちろん、広告代理店に勤めている次男も「中小企業を応援する媒体を作りたい」と言っていて、私たちのことを考えてくれているようです。そんなふうに中で外でDIDについて見守り、考えてくれる人が増えてきています。
野元
お二人とも、すごくチャーミングで…って先輩に失礼ですが(笑)。周りに何かお手伝いしたくなる、一緒にやりたくなるという人が多いですよね。すごいお二人なのに、対等でいてもいいのではないかという安心感を与えてくださって。

志村 真介氏、志村 季世恵氏、野元 義久

季世恵
私の場合、脇が甘いと言うか、子どもたちにも「手伝わないとダメだ」と思われているようで(笑)。でも、それによってフォロワーがたくさんいてくださるのは、本当にありがたいことだと思います。
真介
野元さんも、そして私もそうですが、「助けて」と言えない人でも、言いやすい、または察してもらえるようになることで、居心地がよくて強い組織や社会になっていくように思います。最近、それに気づき始めた企業の経営者の皆さまが増え、研修などで多くDIDを活用いただくようになりました。
野元
私も人事コンサルタントの仕事を通じて、大きな変化のうねりを肌で感じています。手法はそれぞれですが協力し合って、人の心を動かし、よりよい組織や社会づくりに貢献できたらと思っています。本日は誠にありがとうございました。

志村 真介氏、志村 季世恵氏、野元 義久

GUEST PROFILE

志村 真介(しむら しんすけ)

ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン Founder
一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ理事

関西学院大学商学部卒。コンサルティングファームフェロー等を経て1999年からダイアログ・イン・ザ・ダークの日本開催を主宰。1993年日本経済新聞の記事で「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」と出会い、感銘を受け発案者ハイネッケに手紙を書き日本開催の承諾を得る。2020年8月、東京・竹芝「アトレ竹芝」内にダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森」をオープン。著書に『暗闇から世界が変わる ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦』(講談社現代新書)

志村 季世恵(しむら きよえ)

一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ代表理事
ダイアログ・イン・ザ・ダーク コンテンツプロデューサー
ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン理事

1999年よりダイアログ・イン・ザ・ダークの活動に携わり、発案者アンドレアス・ハイネッケ博士から暗闇の中のコンテンツを世界で唯一作ることを任せられている。活動を通し、多様性への理解と現代社会に対話の必要性を伝えている。また、バースセラピストとして、心にトラブルを抱える人、子どもや育児に苦しみを抱える女性をカウンセリング。クライアントの数は延べ4万人を超える。2023年の新著『エールは消えない いのちをめぐる5つの物語』、『暗闇ラジオ対話集―DIALOGUE RADIO IN THE DARK-』のほか、著書に『さよならの先』(講談社文庫)、『いのちのバトン』(講談社文庫)、『大人のための幸せレッスン』(集英社新書)など。 ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦』(講談社現代新書)

ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン:https://did.dialogue.or.jp/
一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ:https://djs.dialogue.or.jp/

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