静岡ブルーレヴズ株式会社 代表取締役社長

山谷 拓志水田 道男

プロスポーツ経営請負人の
“圧倒的な当事者意識”に学ぶ(後編)

HOMETalksプロスポーツ経営請負人の“圧倒的な当事者意識”に学ぶ(後編)

ヤマハ発動機ジュビロを前身として、2021年に誕生したジャパンラグビーリーグワンのプロクラブ「静岡ブルーレヴズ」。その初代・代表取締役社長に就任した山谷拓志(やまやたかし)さんは、元アメリカンフットボールの選手で、経営コンサルタントとして務めたのち、バスケットボールの宇都宮ブレックスと茨城ロボッツの代表を歴任し数々の実績をあげてきました。その経営手腕から“プロスポーツ経営者請負人”とも呼ばれています。激動のスポーツ業界において次々と押し寄せる困難を、山谷さんはどう乗り越えてきたのでしょうか。そのキャリア変遷から浮かび上がる、スポーツ分野以外にも通じる経営者のリーダーシップに、元同僚の水田が迫りました。

後編では、山谷さんが経営破綻した前運営会社に代わってプロバスケットボールチーム・つくばロボッツ(現・茨城ロボッツ)を引き受ける新会社を設立し、チーム再建に乗り出したときのお話からお伝えします。

選手がいない。資金ショート目前。でも「5年後日本一」を目指す

水田
山谷さん個人が借金してつくった資金6000万円が、即座に半分になったところからスタートしたロボッツの経営、大変なご苦労があったのでしょうね…。
山谷
いや~面白いですよ。とにかく始めなくてはということで、まず選手に新会社との再契約交渉を行いました。給料は減額せざるを得ないため厳しい交渉となり、選手13人のうち5人しか残りませんでした。リーグのルールで10人以上の選手登録が必要となるなか、翌週には試合を控えています。バイトで暮らしていた元選手や引退した元選手に片っ端から連絡して、「とにかくやってくれ」と。なんとか10人が集まり、試合の日の朝にロッカールームで「はじめまして」と顔合わせし、初試合に臨みました。
水田
綱渡りですね。
山谷
選手を集めたのはいいですが、「給料が安いので家を借りられません」と言うので、会社が3LDKの一軒家を安く借りて、選手3人を住まわせることにしました。僕もまた単身赴任をする必要があったので、じゃあここでいいやと居間に寝泊りして共同生活を送っていましたね。
水田
肩書は「社長」だけれども、実際は何だったんでしょう。
山谷

「チーム存続業」でしょうか(笑)。

試合チケットは売れない、スポンサーはつかない、資金は減る一方という状況ですから、僕もなんでもやりました。試合運営では音響スタッフとして選手入場時の選曲から曲出しまでしましたし、選手紹介のMCをやったことも。選手にも「申し訳ないけれど会場準備に手を貸してくれ」と、試合前日に会場にシートを敷いたり椅子を並べたりしてもらいました。

そんなふうに必死に“止血”しながら“輸血”のための融資先を求めて奔走しましたが、茨城県の銀行からはすべて断られてしまいます。その月末にはいよいよ資金ショートを起こすところまできて、いよいよダメかと思ったとき、つくば市にある栃木県の銀行の支店が「栃木ブレックスの社長だった山谷さんですよね?」と、当時の実績に対する信用だけで1500万円融資してくださることに。なんとか首の皮一枚つながりました。

水田
そんな厳しい状況下で、どうやってチームの求心力を高めたのでしょうか。
山谷

僕が最初に選手や社員に1つだけ約束したのは、給料の未払いや遅延は絶対にやらないということです。前身の会社は選手に給料が払えなくなったことが発端で、「このチーム大丈夫か?」との疑心暗鬼を生み、支援者にも伝播して、それまで積み上げていった信用を一気になくす事態を招きました。ですから、自分の給料が出なかろうとも、同じようなことは起こすまいと強く思ったんです。結果、どんなに厳しくても、その約束は守り通しました。僕が唯一誇れることです。

あとは、「5年後日本一になる」と言い続けましたね。初年度はわずか6勝が精一杯の状況でしたが、必ず明るい未来を描けるということは、かなり背伸びして言っていました。

山谷 拓志氏

人の力が支えるビジネスと認識し、よい人材集めに奔走

水田
給与の遅配をしないということで選手からの認知的信頼を、夢を語ることで感情的信頼を、それぞれ獲得していくことから始められたわけですね。そこから潮目が変わった瞬間というのはありましたか。
山谷

2015年、新たに発足したBリーグへの参入が決まったときですかね。

Bリーグ参入には、地元に指定規模の体育館があることが必要です。当時拠点としていたつくば市で条件を満たす体育館の建設計画が白紙になるという騒動があったんですが、急遽、水戸市への移転が叶い、Bリーグの2部に滑り込むことができました。

移転にあたり、水戸市で経営者の集まりに片っ端から出るなどの営業活動を行っていたとき、ある会合で、地元出身でグロービス経営大学院創設者の堀 義人さんと近くの席になったんです。そこから猛烈に営業して、最初は1000万円のご支援というお申し出だったのを、最終的には「わかりました。山谷さんが6000万円出しているなら僕も6000万円出します」と言っていただくことができました。

もうこれで資金繰りが心配で眠れないということはなくなる、とホッとしたのを覚えています。資金を得ただけでなく、経済界で名のある堀さんの支援によって信用力が高まる効果も大きかったと思います。

水田
運営サイドの組織づくりについて意識されていたことは何でしょうか。
山谷

とにかくよい人材を集めることに力を入れていました。興味を示している有望な人材が神戸にいると聞けば、夜の便で現地に行って夕飯を食べながら口説き、早朝の便で帰る、なんてこともしましたね。そうして、Jリーグのチームから転職して来てくれたり、茨城県出身のバスケットボール選手経験者が引退後に来てくれたりと、掲げていたビジョンやチームの置かれた状況に共感してくれるメンバーが集まって、彼らがコアになって会社を盛り上げていってくれました。

我々のビジネスは、モノづくりとは違い、「これからチームが強くなります」「地域貢献します」と形がないものを伝播させていく、人の力がなければできないものです。それができるメンバーに恵まれたことは非常によかったですね。

水田
どこに行くか、の前に、誰をバスに乗せるか?が大事ということですね。会社のために身銭を切り細かい現場の仕事までやる“スーパー社長”がいると、社員が依存してしまうということはありませんでしたか。

水田 道男

山谷

確かに僕は現場の仕事もひと通り経験して知っているので、細かいことにまで気づいてガンガン突っ込みを入れるほうです。ただ、「僕は詳しくはあるけど、正しいかはわからない。なんでも言ってくれ」と伝えていました。ですから社員が遠慮して意見を言わないということはなく、「それ違いますよ」などとよく言われましたね。

末端の仕事能力は自分でも高いほうだと思いますし、やりたいからやります。拡大後の組織であれば社長はどんと構えていればいいかもしれませんが、立ち上げフェーズではそういう社長の能力も活用したほうがいいのではないかと思いますね。

水田
そうしたなかで、Bリーグに滑り込んだチームがB2優勝争いにも絡むようになり、2019年度は前年度比156.6%の約5億円という売上を達成、観客動員数も5000人を超えてB2記録を更新しましたね。
山谷
今、地域の皆さんが試合観戦を楽しんだり、勝利することで元気になったりしてくれています。あのときチームを残していなかったら、茨城県はプロバスケットボールチームが存在しない県となり、今の状況は一切ありませんでした。まったく希望が見えなかったとしても、存続していればこういうことが起こる。諦めなくて正解だったと思います。

プロチームとして、プロフィットセンターへの意識改革

水田
ロボッツが軌道に乗ってきたところで、山谷さんがラグビーの世界へ行くことを決めた背景には、どんなことがあったのでしょうか。
山谷

伝統あるラグビークラブ「ヤマハ発動機ジュビロ」をもつヤマハ発動機が、企業チームから地域チームへの転換を目指す新リーグ「ジャパンラグビー リーグワン」発足に際して独立分社化したプロクラブに移行させることになり、その運営会社代表にどうかとお声掛けいただいたんです。ロボッツのB1昇格までは責任をもちたいと思ってずっとお断りしていたんですが、非常に熱心にお誘いいただいて、頼まれると弱い性分と、ブレックスとロボッツで培ったノウハウが新天地でも生かせるんじゃないか、大変そうだけれどやりがいある、新しいことをやってみたいという思いから、挑戦を決めました。

その決断から約2か月後の2021年5月、ロボッツのみんなががんばってくれ、B1昇格が決定しました。最後は花を持たせてくれたと感謝しています。

ロボッツは僕が去っても伸び続けるという確信がありました。実際、成長しています。ブレックスも同様です。ゼロからイチを作った人が長く留まって影響力を発揮し続けるより、むしろ突然いなくなったほうが、みんなが自分たちで新しいことをやっていこうという自然な動きになるのではないかと感じています。

水田
新天地であるブルーレヴズは、ヤマハ発動機という大企業の下で40年近く続いてきたチームです。その運営会社代表としての仕事は、ベンチャー的要素の強かったブレックスやロボッツとは異なるでしょうか。
山谷

ブルーレヴズは第二創業のようなイメージかもしれませんね。

多くのラグビーチームが似た状況にあったかと思いますが、企業の福利厚生という位置づけで続けてくると、いわゆるプロフィットセンターとしての判断基準はありませんでした。ですから最初は、遠征費の見積もりや運営スタッフの経費などもすべて見て、この人数は本当に必要か?この金額は適正か?など細かく確認していきました。

例えば、ユニフォームにもかなりの無駄がありました。ラグビーでは背番号が選手ではなくポジションに紐づき、キックオフの48時間前まで誰が何番のユニフォームを着るかわかりません。それぞれの番号のサイズ違いを5種類くらい揃えておきますが、実際に使うのはその3分の1ほど。残りは処分していたと言うので、それをグッズとして販売することや、プリンターを購入して背番号決定後にユニフォームにプリントすることなど、1つひとつ工夫してきました。

おそらく最初はスタッフに「そこまでやるのか」「今までこうだったのに」との抵抗感もあったと思います。それでも柔軟性をもって一緒に考えてくれたので、建設的な議論ができ、意識改革が進んできたように思います。

山谷 拓志氏

(社員と打ち合わせをする山谷さん)

水田
前身チームの元選手で、日本代表としても活躍した五郎丸歩さんが、スタッフとして働いているそうですね。
山谷
はい。社長就任前、まだ選手だった彼と話したところ、ビジネスとしてラグビーに関わることに興味をもってくれたので、引退後はスタッフ側に入ってもらいました。今は企画担当として試合の演出を考えるなど、ネームバリューだけに頼ることなく実務を担っています。実務能力は非常に高いですし、本人もやりがいを感じているようです。
水田
五郎丸さんのように選手にもスタッフにも影響力のある方との協働は難しいように思いますが、職位や権限としてではなく役割として社長業を捉えておられる山谷さんの真骨頂ですね。

強いチームづくりで広める、スポーツコンテンツの魅力

水田
バスケットボール界で培った経営のフォーマットをラグビー界でも上手く応用されていますね。さまざまな苦難を潜り抜けてきたなかでご自身の経営者としての成長を感じるところはありますか。
山谷

ほんと成長してねえなあと思いつつ(笑)、ブレックスやロボッツと比べて組織の人数が多く売上規模も大きいので、大きな組織の経営者としてのあり方をもう一度学んでいかなくてはならないと考えているところです。

最近、僕がすべてを直轄する組織体制から、4つの大きな枠組みに責任者を置いて彼らに任せるという体制に変更しました。これは僕の経験のなかでは新しい試みで、つい口出ししたくなるところを押しとどめるなど葛藤しながらやっています。

水田
山谷さんご自身のキャリアについては、どう描いているのでしょうか。
山谷
僕はこれまで、将来これを目指そうという目標や、何歳で何をやるなどの計画は一切なく、すべて場当たり的に歩んできました。何年後にどうしているのかと聞かれても、まったくノービジョンです。唯一、昔からぼんやりと思っているのが「高校の弱小アメフト部の監督になってチームを育てられたら面白いなぁ」ぐらいです(笑)。
水田
お話を伺ってきて、やっぱり山谷さんは非常に稀有な経営者だなと感じました。社長は単なる役割、とあっさりおっしゃられましたが、これは中々できない。役割だと思って引き受けても、次第に過度な権限や権威をまとい、更には既得権益化してしまうケースが多い。でも山谷さんは本当に役割と思っているから、キャリアの扉が向こうから開くと、迷いなく次へと進むことができる。持って生まれたリーダー気質が成せる業のように感じます。さまざまな経験をされてきたなかで、経営者として何が大事だとお考えでしょうか。
山谷
「圧倒的当事者意識」です。「当事者意識」ではなく「圧倒的」がつきます。自分の給料がどうなるとか、自分がどう見られるとか関係なく、当事者として会社に起こっていることに逃げずに向き合う。もう、そこだな、ということを強く感じています。

水田
これからブルーレヴズを、どのようにしていきますか。
山谷

とにかく結果を出すのみです。「日本一」は絶対です。自分自身が選手だったこともあって、やはり強いチームじゃないと嫌なんですよね。日本一を取るまでは意地でもやります。

結果の指標には売上や観客動員数などいろいろがありますが、競技として日本一という結果を出せば、ビジネスとしての結果はあとからついてくるものです。

バスケットボールチームにいたときから、日本におけるスポーツエンターテイメントの価値は海外に比べると不当に低いと思っています。美味しい料理なのに流行らないお店と同じで、そもそもメニューがない、盛りつけが美しくない、店の内装が悪いといった問題をなんとかすれば、必ず美味しさを味わってもらえるはずです。

絶対に価値はあるのだから、しかるべきアクションを行って、ラグビーの面白さももっと広めていきたい。静岡ブルーレヴズの挑戦はラグビー業界の中でもお手並み拝見といったところでしょうが、強いチームとして復活し、ビジネスとしての成果も上がることを証明できたら、今後のラグビー界に一石を投じることになると信じています。

水田

先ほど持って生まれたリーダー気質と言いましたが、持って生まれた山谷さんらしさを基軸にしたリーダーシップを発揮されていることがよく分かりました。我々の世界で言われているオーセンティックリーダーシップですね。ただこれを実践するのは難しいと個人的には思っていましたが、一つのヒントを今日得たように思います。自分を活かす立地を自ら選ぶということですね。自分を活かせなくなったら、あるいはもっと活かせそうな機会が訪れれば、既存の立地を執着せず手放す。事業戦略の要諦は立地決めだと神戸大学の三品和広先生はよくお話されますが、リーダーのキャリアもある意味立地選択が重要ですね。自らを変えるのではなく、立地を変えるという発想はとても大切なように感じました。

これからもチームと山谷さんを応援していきたいと思います! 本日はありがとうございました。

山谷 拓志氏、水田 道男

GUEST PROFILE

山谷 拓志(やまや たかし)

1970年6月、東京都生まれ。89年に慶應義塾大学経済学部へ入学。アメリカンフットボール部で活躍し92年度の学生日本代表、学生オールスターに選出される。93年に株式会社リクルートに入社。リクルートシーガルズ(現オービックシーガルズ)へ入部し、96・98年度には日本選手権(ライスボウル)優勝を経験。2000年6月にリクルートを退社し、リクルートシーガルズのアシスタントゼネラルマネジャーに就任。05年1月、株式会社リンクアンドモチベーションのスポーツマネジメント事業部長に就任。07年1月には株式会社リンクスポーツエンターテインメント(宇都宮ブレックス運営会社・当時)代表取締役社長に就任。一般社団法人日本バスケットボールリーグ(National Basketball League運営法人)の専務理事を経て、14年11月から株式会社茨城ロボッツ・スポーツエンターテインメント(茨城ロボッツ運営会社)代表取締役社長に就任。21年6月、ヤマハ発動機がラグビー新リーグ「ジャパンラグビー リーグワン」参入に向けて設立した静岡ブルーレヴズ株式会社代表取締役社長に就任。

静岡ブルーレヴズ:https://www.shizuoka-bluerevs.com/

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